熊野古道入口からスタート。

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現在地確認。
熊野は紀伊半島の南部一帯をさす地名。

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魔法のホウキ?

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熊野古道大門坂。

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熊野古道とは熊野の霊場に続く参詣道。

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平安コスプレでタモテバコを渡す。

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旅のお題は「なぜ熊野は日本の聖地になった?」

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想定外の質問をされて困ってしまうコスプレの人w

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平安時代から盛んだった熊野詣(熊野三山を巡礼すること)。
京都から片道300kmもあります。

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案内人は国際熊野学会の山本殖生さん。
蟻の熊野詣で:
全国から訪れた貴族・武士・庶民など参拝者が蟻の行列のように連なった様子

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熊野には誰もが訪れたくなる”ありがたい”と思えるわけがあった?

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第131回 熊野

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今回訪れるのは、熊野三山の一つ、熊野那智大社一帯。
タモリさんたちは聖地誕生のカギを探すため大門坂を上ります。

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人気スポット、大門坂の石段。

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左側は料金所があった場所(十一文関跡)。

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右側を見ると、那智の滝がチラッと見える。

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金を払ってでも滝の近くに行きたくなる。

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吉本新喜劇のオールドギャグ3連発w

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飛瀧(ひろう)神社に来ています。

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そんなことを言っているうちに那智の滝に着きました。

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この滝が熊野那智大社のご神体。

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神が住むこの地を訪れれば、現生の罪が許されると人々は信じた。
→聖地誕生

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この滝の崖の石は古道の敷石に使われていた砂岩ではない。

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南紀高等学校の田原敬治さん。
専門は地球科学。

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崖の石は流紋岩。
流紋岩:
マグマが冷えて固まった硬い石

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那智の滝は流紋岩と砂岩の境目にある。

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いよいよ那智大社へ。

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拝殿。

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八咫烏(やたがらす)。

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八咫烏は熊野の神の使い。

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八咫烏はサッカー日本代表のシンボルマークになっている、という話からこうなりました。

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林田アナは大迫ファン。

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神社に護摩木。
普通はお寺にあるもの。

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護摩木:
煩悩を焼きはらうための修行や仏への供物として使用される

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那智大社の隣に青岸渡寺というお寺がある。

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昔は寺と神社が渡り廊下でつながっていたらしい。
神仏習合の極み。

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熊野観心十界曼荼羅。

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仏様は苦しみのない極楽浄土へ連れて行ってくれる。

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神様に現世の罪を赦してもらい、死後は仏様に救ってもらう。

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神仏習合は医療保険+死亡保険?

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上皇たちも数を競うようにして熊野詣に励んだ。

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九州(大宰府)は遠すぎる。
熊野は都から近すぎず遠すぎず、適度な距離があった。

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もともとは別の霊場だったが、11世紀ごろ(平安時代)に熊野三山としてまとまる。

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熊野古道を整備して熊野三山を一つにまとめ、上皇たちを呼び寄せたプロデューサーとは?

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山伏:
山で修行に励んで煩悩を振りはらい
自然から得た力で人々を救済する

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山伏は熊野の道案内や全国をまわる布教活動もした。

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山伏はプロデュサー、旅行ガイド、宣伝マン。

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修行中は酒が飲めないのがつらいw

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太平洋プレートとフィリピン海プレートに紀伊半島が押されて紀伊山地が誕生。

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林田チアリーダーw

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紀伊半島はプレートの力で今も隆起を続けている。

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ブラタモリでカンペ丸出しは珍しい。

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熊野の聖地信仰は海にまで広がりました。
海の聖地信仰とは何か?
それを探るため、タモリさんたちは補陀落山寺へやってきました。

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「補陀落(ふだらく)」とは観音様の浄土のこと。
苦しみのない仏の世界です。

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補陀落渡海船。
文字通り補陀落を目指し海を渡る船。
海が聖地であった証。

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補陀落渡海船は棺桶船?

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補陀落山寺の住職はこの船の中に閉じ込められた。

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くぎを打ちつけられ、出ることができなかった。

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民衆を浄土に導くため、補陀落山寺の住職たちは渡海船に乗りこみ、海のかなたに消えていった。

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補陀落にたどり着いたのか、海の藻屑となったのか…。

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エンディング♪

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次回(4月27日)は熊野の観光です。

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