四国に渡った旅人の目的は何なのでしょうか?
タモリさんたちは撫養街道を西に12キロ進みました。

a2

四国霊場八十八か所霊場の一番札所

a1

一番札所霊山寺の森本恭史さん。

a3

お遍路はここから始まる。
八十八か所を歩いて巡ると40日ほどかかる。

a4

お遍路体験をしましょう。

a5

お遍路姿でもサングラスw

a6

お遍路の達人、山下正樹さん。
13回歩き遍路をしている。

a7

40日近く歩く厳しい旅路なのでいつ死んでもおかしくない。
だから白衣は死に装束。

a8

死んだら杖は墓標代わりになる。

a9

一番札所(霊山寺)でお遍路体験
札所に着いたらまず鐘を鳴らして弘法大師にご挨拶。

a10

本堂で名前を書いたお札を納める。

a11

本尊に祈りをささげる。

a12

弘法大師をまつる大師堂へ。

a13

弘法大師に祈りをささげる。

a14

ブラタモリはお遍路に似ている?

a16

日本各地で自然のダイナミックな動きに出会い、そこで暮らす人間の営みに出会うブラタモリ。

a15

厳しい自然の中で自分を見つめなおすお遍路。

a17

お遍路さんをもてなす接待所。

a19

「お接待」はお遍路さんをもてなす四国独特の文化。

a20

お接待:
決まった形はなくお遍路さんをサポートするため
飲み物・食事・宿などを提供すること

a18

接待をする方にも功徳がある。
お接待は弘法大師をもてなすことにもなる。

a21

お接待を受けた感謝のしるしにお札を渡す。

a22

お遍路さんによってもたらされたあるものを見に行きましょう。

a25

タモリさんたちは撫養街道を4キロ戻り、大谷というところにやってきました。

a24

平地に築かれた登り窯。

a23

大谷焼という陶器。
200年前九州から来たお遍路さんが伝えたもの。

a27

お接待を受けたお遍路さんはお返しに知識を伝える習わしがあった。

a26

大きい。

a28

藍の発酵に使うので「藍がめ」という。

a31

二人一組でする「寝ろくろ」。

a29

寝てても楽ではなさそう…。

a30

このお接待の文化がもたらした意外なこととは?
タモリさんたちは西に5キロ移動してきました。

a32

100年前の兵舎の跡

a34

第一次世界大戦の際、ドイツ兵1000人が捕虜となり、鳴門に収容された。

a36

捕虜たちはこの場所で3年近く過ごす。

a37

田植えを手伝う捕虜さん。

a38

日本の家庭でくつろいでいる捕虜さん。

a39

お接待精神で捕虜を温かく受け入れた鳴門の人たち。

a40

捕虜たちはお返しにパン・ソーセージ・チーズ・バター・西洋野菜の作り方などを伝えた。

a41

捕虜の慰霊碑の清掃や供養を続けてきた高橋家のお墓は慰霊碑の方に向いている。

a33

半世紀以上慰霊碑の清掃や供養を続けていた高橋さんご夫妻。

a42

日本で初めてこの収容所で行われたこととは?

a43

交響曲第九番第4楽章「よろこびの歌」。

a44

ここは日本で初めて第九が演奏された場所。

a45

まとめ。

a46

いろいろ見たのに「断層」のことしかしゃべらないw

a47

エンディング♪

a49

次回(4月13日)は甲府盆地です。

a48