有田ポーセリンパークからスタート。

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有田の位置確認。

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旅のお題は「なぜ”世界の有田焼”になった?」

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案内人は佐賀県立九州陶磁文化館館長の鈴田由紀夫さん。

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後ろにあるお城は何なのか?

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ドイツにあるツヴィンガー宮殿のコピーだそうです。
城主のアウグスト2世は有田焼の大ファンだった。

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そして、有田焼を真似してできたのが有名なマイセン。

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有田ポーセリングパーク:
1993年にオープンした観光施設
園内には焼きものづくりの体験コーナーも

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ここはコスプレの撮影スポットになっている。

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妙な格好をした人たちw

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第116回 有田焼

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初期の有田焼。
1640~1650年代。

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焼き物には磁器と陶器があり、弾くと音が違う。

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江戸時代の初めごろまで、磁器は日本では作られていなかった。

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日本で最初に磁器が作られたのが有田。

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VOCのロゴ入りの有田焼。

VOC:オランダ東インド会社
アジアとの貿易を目的とした世界初の株式会社
長崎に支店を持ち、鎖国中の日本と取引をした

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長崎を出発した船は8~10か月かけてヨーロッパへ。

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ドイツの宮殿にある有田焼のコレクション。
当時は”白き黄金”と呼ばれた。

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好きな焼き物でその人の性格がわかるらしい。

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タモリさんが好きな有田焼。

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林田アナが好きな有田焼。

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焼き物占いではタモリさんは繊細、林田アナは格式が高い。

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林田アナが選んだのは将軍の献上品。

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巨大な花瓶。

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染付蒔絵富士山御所車文大花瓶:
1873年のウィーン万国博覧会に出品
日本館の入り口に設置された

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小さな町から世界の有田焼が生まれたワケをこれから見ていきましょう。

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撮影終了後も館内の有田焼を鑑賞するタモリさん。

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続いてタモリさんたちは有田の東の端、泉山磁石場にやってきました。
陶石が発見された有田焼の原点となった場所です。

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陶器の原料は土。
磁器の原料は陶石という石。

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陶石を細かく砕いて水と混ぜ、上澄みをこしとることで真っ白な粘土ができます。

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16世紀後半に秀吉が朝鮮に出兵した際、日本に連れ帰った朝鮮の陶工たちがここを発見しました。

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磁石場の中に入ります。

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これが陶石。

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採石してできた洞穴。

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なぜここに陶石があった?

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地質マニアにはおいしい問題w

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マグマが地表に出てきた「流紋岩」。
これが熱水に当たると白くなる。

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溶岩が冷えて固まった岩石が流紋岩。

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流紋岩は磁器に必要なガラス質を多く含んでいるが、鉄分も多くそのままでは使えない。

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地下から上がってきた250度近い温泉で鉄分が洗い流され、流紋岩は白くなる。

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こうして流紋岩は陶石に変化します。

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鶯とセッション。

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熱水が通った岩の割れ目。

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割れ目から採れた石は真っ白な紙粘土のようになっている。

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紙粘土はスペイン語っぽいw

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新たな疑問。

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流紋岩に熱水が通ったとしても、限られた場所しか陶石にならないのでは?

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でも、ここは見渡す限りが陶石。

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最近案内人の分業化が著しいw

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佐賀大学の角縁先生がこのあたりの火山活動について説明します。

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あの山(赤)が鍵。

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あの山が圧力釜の蓋になった?

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約250万年前、あの山が噴火。

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流れ出た流紋岩がこのあたりに覆いかぶさり、蓋をしてしまいました。

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厚さ100mの分厚い蓋。

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蓋があるので熱水は上に抜け出ることなく、流紋岩全体が白い陶石に変化。

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じっくりコトコト数万年w

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蓋となった流紋岩は250万年かけてなくなった。

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蓋を作った英山(はなぶさやま)。

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意表を突くたとえw

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有田焼②に続く