タモリさんたちは今も残る大隈重信の別荘を訪れます。

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執事的な方?

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明治30年(1897年)創建。
敷地は約8000坪。

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宴会好きだった重信公。

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約40畳の宴会場。

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年間22000~23000人の来客があった。

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木立が低かったころには海が見えた。

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大物政治家たちによって花開いた湘南の別荘文化。

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こうして湘南には”海の別荘地”というイメージが定着しました。

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続いてタモリさんたちが向かったのは、茅ケ崎。
茅ケ崎と言えば、加山雄三やサザンオールスターズを輩出した湘南の代名詞。
年間300万人の観光客が訪れます。

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陽射しが強くなってきました。

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もともとは大磯が湘南発祥の地だったのに、今は多くの人が茅ケ崎が湘南の中心だと思っている。
それはなぜ?

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茅ケ崎の案内人は、地元の旅館の五代目、森浩章さん。

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飲み屋横丁にご案内。

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湘南っぽさはまったくないw

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大正5年の行楽客数。
茅ケ崎は全くメジャーではなかった。

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茅ケ崎がメジャーな観光地になれなかった理由は、サザンのデビュー曲「勝手にシンドバッド」にヒントがある。

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砂まじりの茅ケ崎…

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内陸まで砂地だったのが茅ケ崎の弱点。

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森さんのひいお祖父さんが茅ケ崎に客を呼び寄せるためにいろいろ知恵を絞ったそうです。

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タモリさんたちは森さんが営む旅館、茅ケ崎館を訪れます。

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旅館の庭園。

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庭にあるベンチがサーフボード?

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ひいお祖父さんがハワイから輸入した日本最古のサーフボード

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砂まじりの茅ケ崎を波乗りの街に。
そのきっかけがこの一枚のサーフボードでした。

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1970年代サーフィンブーム到来。
茅ケ崎の町はサーフボードを持った若者たちで埋め尽くされました。

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ある社会現象が生まれる。

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原宿や六本木でサーフィン?

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いわゆる陸サーファー。
女子にモテたいがため、サーフィンをやらないのにサーフボードを持っていた。

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なぜ茅ケ崎がサーフィンに適しているのか?
その理由を海岸で探ってみます。

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案内人はプロサーファーの牧野拓滋さん。

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サーフィンに向いている波は、高さが盛り上がってきて前に崩れ落ちる波。

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波が崩れかかったところでサーファーは波に乗る。

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そういう波ができるためにはサンドバーが必要。

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茅ケ崎はサンドバーができやすい場所。

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茅ケ崎から東の海岸は遠浅になっており、相模川から流れてきた砂が大量にたまる。

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遠浅の地形になった理由に”いとしのヘリ”が関係している。

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この理由については”いとしのヘリ”担当が説明いたしますw

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核心に近づくタモリさん。

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約1000万年前、大陸プレートは黄色いラインが境界線だった。

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ヘリは茅ケ崎のすぐ脇を通っていました。

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フィリピンプレートの潜りこみで大陸プレートが隆起。

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隆起した部分は波に侵食されて平らになったのです。

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1000万年以上かけてサーフィンができる条件が整う。

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”いとしのヘリ”は湘南に欠かせない烏帽子岩もつくった。

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船で烏帽子岩に行く。

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烏帽子岩に上陸。

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1000万年前のヘリがつくった烏帽子岩(高さ約13m)。

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隆起した大陸プレートは波に侵食されましたが、硬かった部分は削り残されました。
それが烏帽子岩です。

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湘南のシンボル江の島も烏帽子岩と同じようにしてできたもの。

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ヘリが持ち上がってできた2つの島。

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まさにこれは砂岩オールスターズw

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ヘリからヘリで湘南がつながった。

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昔のヘリと今のヘリの間が湘南になった。

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エンディング♪

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次回(10月20日)は佐賀県有田です。

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