最上川からスタート。

山形県酒田市。
二人とも初めての訪問。

晴れていたらこんな感じ。

旅のお題は「山形・酒田はなぜ日本の中心!?」

案内人は酒田市役所の小林和也さん。

旅のお題が腑に落ちないタモリさん。

東京から酒田まで約350km。

今回の核となる”北前船”を早々に指摘してしまう。

北前船:
江戸時代に日本海側の物資を大坂に運んだ船
新潟・福井・広島といった主要な港に立ち寄り
米、塩、衣類などを中心に売買した

なぜ酒田が(北前船の)西廻り航路の起点になったのか?

第113回 山形・酒田

最初にやってきたのは最上川のすぐ近くを流れる新井田川。

屋形船で待っていたのは京都大学の山村亜希先生。
名古屋・熱田の回にも登場した港町の歴史の専門家です。

出航。

船内はこんな感じ。

天気が良ければ鳥海山が見えるそうです。

最上川は全長229km。
全国7位の大河川です。

舟からの荷揚げのためのスロープ。

上陸して、かつての最上川舟運の主力商品を見に行きます。
これがあったから、酒田は西廻り航路の起点になり得た。

全長160mの巨大倉庫。

山居倉庫。

ヘルメットを被って倉庫の中を見学。

最上川舟運の主力商品は米だった。

江戸時代の酒田では多いときには年間65万5000俵の取り扱いがあった。


山形県酒田市。
二人とも初めての訪問。

晴れていたらこんな感じ。

旅のお題は「山形・酒田はなぜ日本の中心!?」

案内人は酒田市役所の小林和也さん。

旅のお題が腑に落ちないタモリさん。

東京から酒田まで約350km。

今回の核となる”北前船”を早々に指摘してしまう。

北前船:
江戸時代に日本海側の物資を大坂に運んだ船
新潟・福井・広島といった主要な港に立ち寄り
米、塩、衣類などを中心に売買した

なぜ酒田が(北前船の)西廻り航路の起点になったのか?

第113回 山形・酒田

最初にやってきたのは最上川のすぐ近くを流れる新井田川。

屋形船で待っていたのは京都大学の山村亜希先生。
名古屋・熱田の回にも登場した港町の歴史の専門家です。

出航。

船内はこんな感じ。

天気が良ければ鳥海山が見えるそうです。

最上川は全長229km。
全国7位の大河川です。

舟からの荷揚げのためのスロープ。

上陸して、かつての最上川舟運の主力商品を見に行きます。
これがあったから、酒田は西廻り航路の起点になり得た。

全長160mの巨大倉庫。

山居倉庫。

ヘルメットを被って倉庫の中を見学。

最上川舟運の主力商品は米だった。

江戸時代の酒田では多いときには年間65万5000俵の取り扱いがあった。

明治時代に作られたこの倉庫にも大量の米が運び込まれた。

240㎏の米を担ぐ女性。

ピンクの部分が幕府の天領。
最上川流域に約20万石あった。

天領米を酒田に集め、江戸に運ぶ。
これこそが酒田が西廻り航路の起点となった理由です。

河村瑞賢(1618~1699):
1672年に幕府の命令で西廻り航路を開設

西廻り航路は山形天領米の専用輸送ルート。

西廻り航路が運ぶ米で江戸の胃袋をつかんだ酒田。

ゆえに酒田は日本の中心。

納得しないことには先に進めないw

北前船で商人たちが行き来するようなると、酒田の町は急激に繁栄しました。

酒田の町の中心部にある豪商本間家。
酒田繁栄の痕跡です。

タモリさんも知っていた有名な豪商。

本間家は北前船の交易、不動産業、金融業で巨万の富を築く。

明治時代の長者番付では五代友厚、岩崎弥太郎といった歴史的財界人を抑えてトップの座に。

本間家の東京の物件を借りてロケをしようとしたが、断られたw
タモリ倶楽部?

本間家旧本邸。

屋敷の広さは600㎡。

使用人30人。

部屋数23。

障子のデザインも一つ一つ異なる凝った造り。

巡見使を迎えるために藩主の酒田家から依頼されて建てたもの。
巡見使:地方大名を監視するために派遣される幕府の役人

巡見使は2泊しかしなかった。

酒田②に続く

240㎏の米を担ぐ女性。

ピンクの部分が幕府の天領。
最上川流域に約20万石あった。

天領米を酒田に集め、江戸に運ぶ。
これこそが酒田が西廻り航路の起点となった理由です。

河村瑞賢(1618~1699):
1672年に幕府の命令で西廻り航路を開設

西廻り航路は山形天領米の専用輸送ルート。

西廻り航路が運ぶ米で江戸の胃袋をつかんだ酒田。

ゆえに酒田は日本の中心。

納得しないことには先に進めないw

北前船で商人たちが行き来するようなると、酒田の町は急激に繁栄しました。

酒田の町の中心部にある豪商本間家。
酒田繁栄の痕跡です。

タモリさんも知っていた有名な豪商。

本間家は北前船の交易、不動産業、金融業で巨万の富を築く。

明治時代の長者番付では五代友厚、岩崎弥太郎といった歴史的財界人を抑えてトップの座に。

本間家の東京の物件を借りてロケをしようとしたが、断られたw
タモリ倶楽部?

本間家旧本邸。

屋敷の広さは600㎡。

使用人30人。

部屋数23。

障子のデザインも一つ一つ異なる凝った造り。

巡見使を迎えるために藩主の酒田家から依頼されて建てたもの。
巡見使:地方大名を監視するために派遣される幕府の役人

巡見使は2泊しかしなかった。

酒田②に続く
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