青島亜熱帯植物園からスタート。

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近江さんは一度都城に来たことがある。
タモリさんは三十数年前に来たことがあるが、ほとんど記憶がない。

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確かにプロ野球のキャンプ地のイメージはある。

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旅のお題は「なぜ宮崎は”南国リゾート”になった?」

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鹿児島の方が南なのに、南国のイメージは宮崎の方がある。

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案内人は宮崎県埋蔵文化財センターの赤崎広志さん。

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なんと7球団が宮崎でキャンプをしている。

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その理由は温暖な気候。
平均気温、日照時間は全国3位。
快晴日数は全国2位。

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青島
海岸からわずか200m、周囲1.5㎞の小さな島ですが、年間90万人もの観光客が訪れる観光スポット。

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青島は南国リゾートの原点。
いきなりそう言われてもピンとこない。

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明治41年の新聞で、日向(宮崎)の青島は避暑地投票で1位になっていた。

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なぜ青島が南国リゾートの原点なのか?
近づいてその秘密を探ります。

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鬼の洗濯岩

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鬼の洗濯板とも言うが、地質が専門の案内人のこだわりで鬼の洗濯岩。

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広さ日本一の鬼の洗濯岩は、青島の土台。
岩の上に白砂が堆積し、青々とした木々が生い茂る。

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上の岩は砂岩。

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下は泥岩。

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こうなっている。

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砂岩は海に向かって斜めに入っているように見える。

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クッキーを砂岩、チョコクリームを泥岩に見立てます。

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洪水が起きて砂と泥が混ざったら、どちらが先に下に溜まる?
重い砂が先に溜まる。

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約650万年前、陸上で洪水が起こり、宮崎の海底に大量の土砂が流れ込みました。

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土砂は砂と泥に別れて積もります。

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これが何度も繰り返され、砂岩と泥岩が交互に積み重なった地層ができました。

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約100万年前、陸側が隆起。

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波による浸食が始まる。

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この時、削られやすかったのが柔らかい泥岩の層。

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波になったつもりで、泥岩を侵食する。

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「ザッ、ザッ」と言いながら、チョコクリームをスプーンでこそげとる。

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洗濯岩クッキーの出来上がりw

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鬼の洗濯岩は100万年かけて波の力が生み出したもの。

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タモリさんたちは青島神社にやってきました。

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まずは参拝。

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ここの境内に南国の原点があるそうです。

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ジャングルのような境内

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ビロウ:
主に東南アジアに生息するヤシの一種
およそ5000本が青島に自生

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この島だけ亜熱帯の植物が自生している。

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ビロウは根を細かく出しているので、植物が生育しにくいところでも砂や貝殻をつかまえて環境に適応した。

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青島は黒潮から別れた南からの海流と黒潮が四国に当たって戻ってきた北からの海流がぶつかるところ。

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運ばれてきた砂や貝殻が鬼の洗濯岩に堆積して白い砂浜に。
海流が南国の原点、青島を形造ったのです。

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でも、青島だけでは宮崎全体が南国にはならない。

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観光バスで宮崎に南国リゾートが広がった理由がわかる場所に向かいます。

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バスから現れたのは、南九州大学の関西剛康先生。
宮崎の景観の成り立ちを研究しています。

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宮崎の観光バスは昭和6年から走っている。
東京、大分の別府に次いで全国で3番目の早さ。

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宮崎交通の創業者、岩切章太郎が南国リゾート拡大のキーマン。

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バスガイドさん登場。

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元バスガイドの笠江洋子さん。
40年ぶりの現役復帰。

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ネタをやらされる二人w

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鉄板の客いじりw

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ブラタモリ号が向かったのは、遊覧バスの時代から一番の名所、堀切峠。
この峠こそ宮崎に南国イメージが拡がるきっかけとなった場所。

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堀切峠

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突然、学生時代の記憶がよみがえる。
タモリさんは学生時代、バンド仲間と車でここに来ていた。

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一台の車がスピードを出しすぎて横転、崖に激突。

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奇跡的に全員軽傷ですんだ。

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ここは思い出のカーブだった。

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南国ムードを演出するフェニックス(ヤシの一種)。

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これを最初に植えたのが、宮崎交通の岩切章太郎さん。

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昭和30年代の堀切峠。

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岩切さんはこの着想を東海道五十三次の絵から得た。

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フェニックスを額縁にして、宮崎の海に南国らしいイメージをつけようとした。

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自撮り棒で撮影。

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堀切峠は元祖インスタ映えだったw

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宮崎②に続く