高野山の総本山、金剛峯寺からスタート。

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まずお参り。

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今回の旅のお題「高野山はなぜ”山上の仏教都市”に?」。

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タモリさんの標高が測れる時計で見ると、ここは標高約800m。

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高野山は標高800メートルの山の上に東西4km、南北3kmの町が広がる不思議な場所。
今回はその謎を解き明かしてゆきます。

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案内人は宮大工の棟梁、尾上恵治さん。
高野山の町中の建築に携わってきました。

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高野山のお寺の数は?

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リアクション良すぎw
117あるそうです。

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高野山金剛峰寺:
山全体が境内 その中に117の塔頭寺院がある
現在いるのはその全体を統括する場所

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つまり、高野山はお寺の中に町がある!

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なぜこのような山上の仏教都市が生まれたのか?
それはまず、ここは人が生きていくために必要なものに恵まれていたから。

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タモリさんたちが次にやって来たのは町のメインストリート
ここで高野山が奇跡的に恵まれていたものが何かわかります。

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尾上さんが建てたコンビニ。

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やっぱり、水か。

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今は暗渠になっていますが、昔はここに御殿川という川が流れ千手院橋という橋が架かっていました。

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江戸時代の絵図で千手院橋を確認。

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日本最高点にあるスクランブル交差点。
週末は渋谷より外国人の比率が高いそう。

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水の流れを確認。

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高野山は山の上にもかかわらず、豊富な水に恵まれた都市だった。

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豊富な水をもたらした高野山の地形と地質はどういうものか?
その答えを探しにあるお寺(不動院)にやってきました。

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池の水はいくらでも湧いてきて涸れることはない。

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水源のある場所に向かう途中、次の案内人が待ち受けていました。
産業技術研究所の栗本史雄さん。
地質の専門家です。

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水源のあるあたりに到着。

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高野山の町を朴の葉で例える。

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中央が一番低いので周囲の水が集まって川ができる。

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高野山の地形図と水の流れ。

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この岩は何?

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当たりw

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泥岩:
1/16㎜未満の泥が固まった岩石
水を通しにくい

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泥岩がお盆のような形になって、高野山の水が下に染みこむのを止めていた。

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高野山は泥岩が広がっているので水が溜まりやすい。

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沢から流れてきた柔らかい土砂が積み重なり、水を貯える天然のスポンジになる。

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山の上でも水が得やすい土地に町ができる。

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空海は若き日の修業時代にこの土地を見つけていらしい。

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高野山が水に恵まれている理由、ガッテンw

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では食べ物はどうしていた?

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タモリ「肉は大丈夫ですね。クマ」
近江「シカ」
尾上「精進潔斎です」
仏門なので肉はNGですw

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タモリさんたちがやって来たのは再び高野山の中心、金剛峯寺
実はここで山の上でも食料を調達できた理由がわかります。

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木製の三鈷杵

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いろいろやっている尾上工務店w

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上段の間は壁に土を使っていない。

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またリアクション大w

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人が踏んだものを頭の上に置かないという考え方ですべて金箔にしている。

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200畳以上ある庫裡(台所)

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2石の釜。

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この3つの釜で2000合炊ける。

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高野山には常に山のふもとから食料を調達できる仕組みが2つあった。

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高野山は領地を所有していた。

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ゆえに小藩ぐらいの年貢米を得ることができた。

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もう一つの食料調達法は絵図をみるとわかります。

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周辺の村人たちは畑で取れた作物を高野山に寄進していた。
これは村人にとっては名誉なことだった。

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尾上さんのお母さんが子供のころぐらいまでは、作物の寄進は普通に行われてた。

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高野山の2つのエネルギー源。

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ダイニングルーム?

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無礼講の宴会場のような場所だった。

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くつろぎのポーズw

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高野山の特産品をいただく。

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高野豆腐:
高野山で誕生した保存食
冬季に自然凍結・乾燥させて作っていた

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お坊さんが豆腐をうっかり外に出しっぱなしにしてできた、という説もある。
お酒も納豆も偶然できた説あり。

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水も食料も確保できたが、問題は女人禁制の高野山は1000年以上にわたって出生率0だったこと。

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どうやって人口を維持していたのでしょうか?

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高野山の町②に続く