港が発展した様子は地形からもわかる場所がある。

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緩やかだが高低差がある

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低い場所はかつては海。

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少しでも土地を増やすため海を埋め立てていた。

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家康による名古屋の町づくり。

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台地の北に強さと広さのある名古屋城を築きます。

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城の南に碁盤割の城下町。

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東西南北どの通りも賑わうように工夫されました。

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熱田は港町として繁栄しました。

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名古屋の出発点は、家康の町づくりだったのです。

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こんなに良い場所(台地)なのにどうして家康の前の時代に町ができなかったのか?

南端の港から北端の城までが約7km。
この距離が町づくりの負担になったのです。

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しかし家康はこの距離問題をある工夫で克服しました。
その工夫を知るため、タモリさんたちは名古屋城の近くの町の西側にやってきました。

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名古屋の市街地に残る古い町並み

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屋根にほこらがある。

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屋根神:住宅の屋根に置かれた小さなほこら
名古屋市やその周辺に多く見られる。

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台地の傾斜が始まってる。

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タモリさんたちの現在位置。

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地形図で見ると台地のヘリにいることが分かります。

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この川
が熱田と城下町をつないだ家康の工夫。

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城から熱田までをつなぐ運河、堀川。

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船が行き交うのに十分な幅。

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普通の川なら低いところを通る。

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斜面にできているのは人工の証。

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斜面の下は低湿地帯。
斜面の下に運河を作ると高潮ときなどに水があふれてしまう恐れがある。
だから、斜面に運河をつくった。

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堀川を管理しているのは名古屋港。
堀川は港の一部という認識。

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塩分濃度計で堀川の塩分濃度を計ってみる。

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バケツで川の水をくむ。

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あれ?

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再挑戦。

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昨日大雨が降ったので、真水に近くなっているようです。

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後日スタッフが再挑戦したところ、僅かですが塩分濃度計に反応がありました。

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堀川の重要な役割の痕跡はあの黒い家の中にある?

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川側の階下に降りる。

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石垣がある。

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家がなければ、こんな感じ。
川から石垣までのスペースは荷揚げ場だった。

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江戸時代の地図にも荷揚げ場は描かれていました。

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このスペースも荷揚げ場だった。

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荷揚げ場の痕跡を求めて堀川沿いを歩く一行。

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家康が名古屋を発展させるために運ばせたものを見に行きます。

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それは材木。

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江戸時代、名古屋は材木の巨大な集積地でした。

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木曽の山で取れた材木を川で流していったん海に出し、熱田を経由して堀川で運んでいた。

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木曽の山地は飛び地のような形で尾張領だった。
木曽で取れる良い材木はここに運ばれ、大きな財源となりました。

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尾張徳川家は御三家の中でも別格。

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再び旅のお題。

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戦乱を潜り抜け、ここに理想の城と城下町を築いた徳川家康。

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家康が見据えていた未来は、そのまま現在につながっている。

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エンディング♪

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次回(7月1日)は大宮です。

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