熱田神宮からスタート。

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名古屋城の南にある熱田神宮。

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今回の案内人は京都大学の山村亜希先生。
町の歴史を地理からひも解く専門家です。

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旅のお題は先週に引き続き「尾張名古屋は家康でもつ?」。

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現在タモリさんたちは南北に細長い熱田台地の南端にいます。

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なぜ家康は台地の上に城と城下町を作ったのか?
その理由がわかるのが、台地の南の端。

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最近は天候に恵まれている「ブラタモリ」。

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年間700万人もの参拝客が訪れる熱田神宮。

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宝物館にあるお宝を見れば、家康が台地に城と城下町を作った理由がわかるそうです。

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3mの大太刀。
でも、これではない。

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宝物館の人がお宝を持ってきました。

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熱田神宮あての書状3点。

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一点は家康からの書状。

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もう一点は秀吉の書状。

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そして、信長。

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戦国の三英雄そろい踏み。

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熱田神宮でのお祓いに対する礼状を書いた信長。

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熱田の治安を守るきまりを定めた秀吉。

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信長と同じく祈祷とお祓いに感謝する家康。

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時の権力者にとって、熱田神宮は大切な神社だったことが分かります。
だからこそ家康は、熱田神宮のある台地の上に城と城下町を作ったのです。

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しかし、家康が台地の上に城と城下町を築いたもっと重要な理由があります。
それを確かめるためにタモリさんたちは宝物館を出てさらに南へ。

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舌状台地の先端は3方が下っていることを確認。

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台地の先端

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熱田台地の北と南のヘリを制覇しました。

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江戸の時代の古地図を見ながらさらに南へ。

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方角と行き先が記された道標がある。

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読みづらいが、江戸街道?

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江戸街道とは東海道のこと。

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東海道がここで行き止まりになっている。

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古地図を見ても、ここで終わって西に続かない。

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南に行くと「七里の渡し」?

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実は熱田と桑名の間七里(28km)は海路だった。

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そこで、東海道はここで途切れ、道は南にある渡し場(七里の渡し)に向かっていた。

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七里の渡しがあったところへ行ってみることにします。

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道すがら”ひつまぶし”の匂いが誘惑w

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七里の渡しに到着。

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家康が台地に城と城下町を作った理由は、南端にある港でした。

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熱田ー桑名間は東海道唯一の海路。
歩いてはいけなかった?(近江)

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濃尾平野には木曽三川と呼ばれる大きな川がある。

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川が氾濫すると何日も足止めをされた。

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川が西に寄っているのはなぜ?

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傾斜がついて、西側が低くなっているから。

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原因は断層。

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濃尾平野は木曽三川が運んだ土砂の堆積によってできた平野。

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300万年前から、西にある養老断層に向けて傾き続けているのです。

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そのため熱田周辺には大きな川がなく、安定した港になりました。

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熱田は古の時代から栄えていた港だった。
その痕跡が地形図にもある。

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長さ150mの東海最大の古墳。

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家康は熱田を名古屋の交易の港にすることにより、経済の発展を狙った。

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繁栄する熱田の街を描いた絵(1844年)。

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絵と同じ形の家が現在も残っている?

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丹羽家住宅(名古屋市指定文化財)。
江戸時代は旅籠だった。

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熱田神宮から台地のヘリ、道標を通って七里の渡しに来たタモリさんたち。
引き続き熱田の浜沿いを歩きます。

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神社発見。

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古地図に記された赤い点はすべて神社。

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秋葉神社:火よけの神として信仰される神社

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路地に入る。

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家が密集して建っていたことが分かる。

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もし火事になったらひとたまりもない。

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だから、路地ごとに秋葉神社がある。

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名古屋・熱田②に続く