茨城県・JR水戸駅前

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水戸といえば、黄門様。

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水戸黄門は諸国を漫遊していなかった。
鎌倉までしか旅をしていない。

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 そこに、水戸黄門と助さん格さんが登場。

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旅のお題を渡すためだけの贅沢なキャスティングw

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今回のテーマは「水戸黄門はなぜ人気があるのか?」

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最初の案内人は水戸教育委員会歴史文化財課の関口慶久さん。
関口さんによると、水戸黄門(=徳川光圀)は生きているときも大変に人気のある人だったそうです。

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徳川光圀が亡くなったときに江戸で生まれた狂歌。
水戸黄門は佐渡の金山と同等の天下の宝だった?

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徳川光圀(1628~1700)は徳川家康の孫。
水戸家は徳川御三家の一つ。

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タモリさんたちがやってきたのは、水戸駅の近くにある水戸城の跡
水戸城を知れば、水戸藩がどんな藩だったのかよくわかるそうです。

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水郡線(すいごうせん:水戸市と福島県郡山市を結ぶ路線)は水戸城の堀の跡を通っている。
堀の向こうは水戸城の本丸。

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 本丸跡は高校(県立水戸第一高等学校)になっています。

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赤い部分が本丸跡(高校)。

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現存している水戸城の門、薬医門。

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余分な装飾がなく、質実剛健。
水戸家の前の領主、佐竹義宣(1570~1633)が建てた門をそのまま受け継いでいる。
”あるものを最大限に活用する”のが水戸藩の藩風。
堀も土塁も水戸藩以前のものをそのまま流用しています。

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天守閣も質素。

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寛永20年(1643年)初代藩主頼房の収支記録。

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収支は大赤字。

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水戸藩主はほかの御三家に比べて圧倒的に江戸で暮らす期間が長かった。
 江戸と水戸の二重生活が財政の大きな負担になりました。

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借金の利息だけでも2300両(約3億円)!

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このような財政事情から、”あるものを最大限に活用する”精神が生まれた。

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次にタモリさんたちがやってきたのは本丸から西に1キロほどの場所

ここでも水戸藩の藩づくりの工夫を見ることができます。

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案内人は、茨城大学の小野寺淳史先生です。

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水戸城の西には5本の堀が作られていました。
タモリさんたちがいるのは水戸藩が作った4本目の堀。

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この通りは4本目の堀の底だったところ。
下に下っています。

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タモリさんは地形から、堀が自然の谷を利用して作られたことに気づきました。

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堀の端は急坂(河岸段丘)。

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堀は高台に入りこんでいる二つの谷を掘ってつなげたものでした。

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こうした城や堀の整備は、初代水戸藩主、徳川頼房の業績でした。

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今日のお題は黄門様(水戸光圀)なのに、今のところ初代頼房の話ばかり。

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さらに水戸藩は城の東側を埋め立てて城下町の拡大を図りますが、井戸を掘っても飲み水に適した水が出てこない。

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そこで水のある所から水を引いてくるしかない。
ここでついに登場するのが水戸光圀。

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タモリさんたちは城下町から南に3キロほどの黄門様が引いた水道の水源に移動します。

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水道の水源。

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飲んでみると、まろやかな水。

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突然現れたのは茨城大学の安藤寿男先生。
専門は地質・古生物。

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ブラタモリも回を重ね、正解が出るようになった近江アナ。

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台地の上に降った雨は、水を通す透水層を抜け、水を通しにくい層(不透水層)に当たり、水が湧きだす。

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光圀はこの水源を大切にしたので、事細かな規則を作った。
・(このあたりで)肉食をしていけない
・うまい酒や食べ物を食べ、遊びにふけってはいけない 
・夜になっていかがわしいことをしてはいけない 

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実はこの笠原水道にも、あるものを最大限に活用する水戸藩精神が生かされています。 

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タモリさんたちは水道がひかれた場所をたどってみます。

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笠原水道は湿地帯の中を通っている。
どうやって水路を通したのか?

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水路は崖沿いを通っているので、先ほどの水源と同じように至る所にきれいな水が湧き出ています。

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番組特製の案内表示。

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当時の水路が見られる場所に来ました。

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先ほどの案内表示は何かを隠すためのもの!?

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隠れていたのは石の水道管。
先ほど見た水路は石の上の部分です。

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笠原水道は暗渠(地下に設けた水路)だった。

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さらに湿地帯に水路を通すために、ある工夫がなされていました。
水道管なら管に水が入らないようにすると考えるのが普通ですが、笠原水道は逆転の発想で水が入るように工夫されていました。

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水道管をよく見るとあちこちに隙間があります。

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神田上水や玉川上水は水が入らないようにきちんと石組みされていますが、ここでは逆に水が入るように作られています。

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笠原水道は途中の湧水も取り込んで水量を確保していました。

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光圀が造ったこの水道は、昭和7年まで、なんと270年にわたって利用されました。
 
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そして、この水道管の石の採掘場にも、”あるものを最大限に活用する”水戸の精神が息づいています。

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水戸黄門はなぜ人気があるのか?②に続く