続いてタモリさんたちがやってきたのは、内陸に10キロほど入った綾川町滝宮という場所。
実はこの場所があったから、さぬきうどんは全国的に知られる香川の名物になった?

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タモリ「あの、はっきり言ってすごい田舎ですよね」w
萬谷「その通りでございます」
タモリ「ここで全国的に有名になるとは考えられませんね」
萬谷「そうですね」

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とりあえず滝宮天満宮にお参り。

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886~890年(平安時代)、菅原道真が讃岐の国司だった。

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平安時代、讃岐の政治の中心は滝宮のすぐ近くにありました。
そして、滝宮には道真の別荘がありました。
当時この辺りは讃岐の中心地だったのです。

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滝宮の歴史に詳しい村山潔さん。
趣味はうどん打ち。

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タモリさんもうどん切りに挑戦。

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 さぬきうどんを誤解していたタモリさん。
「太くてすごくコシが強いというイメージがあったが、意外と優しい」

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綾川町滝宮はさぬきうどん発祥の地。

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さぬきうどん発祥には、空海(奈良~平安の僧、真言宗の開祖、讃岐国出身)が関係しています。

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かつて天満宮の隣には龍燈院という空海の甥が住職を務めたお寺がありました。
唐から帰った空海は甥に小麦粉を練って湯がいたものを伝えました。
それが後のさぬきうどんになったと言われています。

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異論を唱えるタモリさん。
うどん発祥の地”博多”説:鎌倉時代、中国から博多にうどんの製法が伝わったという説
 
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あくまでさぬきうどんの話。

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続いてやってきたのは、南に1キロほどの川の近く。

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綾川は土器川と違い水量が豊富。
実はこのことがうどん作りと深い関係がある?

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堰がある。

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堰で溜めた水を流す水路がある。

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堰と水路は(小麦の)製粉のための施設。

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水量が豊富な綾川では、水車を使った製粉が盛んだった。

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先ほど出てきた龍燈院も887年には水車を持っていて、ついこの間まで回っていたそうです。

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川の水量が多いのには滝宮の地形にヒミツがあります。
川幅の広い上流から滝宮あたりで直角に曲がり川幅の狭い渓谷になっている。

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 しかも、土器川の川底が水を通しやすい石や砂なのに比べ、綾川のこのあたりの川底は水を通しにくい花崗岩でできている。

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川幅が狭く水の染みこみにくい地形によって、水車による製粉には理想的な場所となりました。

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さぬきうどんが名物としてどう広まったのか?
それを知るためにタモリさんたちは少し下流に移動します。

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橋から下をのぞくと岩に丸い穴が空いていました。
橋脚の跡です。

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江戸時代の絵図を見ると、この場所には立派な橋が架かっていました。

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 実はここには高松とこんぴらを結ぶ金比羅街道が通っていた。

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滝宮は宿場町として栄えていた。

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 江戸時代の地図(絵図)を見ながら旧宿場町を歩く。

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近江アナ、地図を回してタモリさんに怒られるw

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宿屋6軒にたいして、うどん屋が11軒あった。

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 こうして、さぬきうどんは滝宮で名物として全国に広まりました。

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タモリ謝罪w

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最後にやってきたのは、さぬきうどんの原型が見られる場所

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打ち立てのうどんと野菜とどじょうを煮込んだ郷土料理のどじょう汁。

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香川しか売っていないどじょう汁用(!?)のおたま。

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どじょう汁をいただきます。

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どじょうを食べる近江アナ。

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「なぜ”さぬきうどん”は名物になった?」のまとめ。

小麦がとれる条件があった(水はけのよい扇状地、雨が少ない)。
うどんのコシを出すのに大事な塩がとれた。
水車に適した川があった。
こんぴら参りの宿場町から、さぬきうどんが全国に口コミで広まった。

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博多のうどんは鎌倉期。
さぬきうどんは空海(弘法大師)の平安時代。

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エンディング♪

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おまけ。
自分で切ったうどんを自画自賛w

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次回(1月21日)はこんぴらさんです。

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