JR天王寺駅前からスタート。

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近江アナ、今日のお題を予想する。
近江「商人の町大阪はどのようにできたのか?」

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!?

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 まさかの正解w
本日のお題「大阪はなぜ日本一の商都に?」

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大阪といえば商人の町。
大阪に住む武士はわずか2%ほどだったそうです。

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大阪高低差学会の新之介さんの案内で、あべのハルカスの展望台へ。

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展望台から望む北側の景色。

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梅田は埋め立て地だったから、うめだ!?

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大阪は意外に高低差がある。
大阪城は上町台地の上に位置している。

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 縄文時代(約5500年前)ほとんど海だった大阪。
上町台地は半島のように突き出ていた。

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織田信長は「大坂は日本一の境地」と言っていた。

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信長の頃の大阪。
上町台地の先には湿地帯が広がっていた。

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信長が日本一の境地と言った理由を探りに、タモリさん一行は上町台地の北端に移動。
台地のへりの高低差を確認。

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台地の上に城を築けば防御が堅牢になる。
この台地の高低差は信長が「日本一の場所」と言った理由の一つ。

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他の理由を求め、タモリさん一行は台地を降りて川辺に移動します。
大川の船着き場

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大阪は都のあった京都や奈良と川でつながっている。

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さらに、中国や東南アジアからの船も来ていた瀬戸内海に面している。

都への玄関口となり、国際貿易の拠点ともなるこの立地に信長は目をつけたのです。

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信長は本能寺の変で没しましたが、その跡を継いだ秀吉が独自のアイデアで大阪の商都構想を実現させました。

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一行は上町台地の西側の街に移動します。
ここから大阪歴史博物館の松尾信裕さんが案内人として参加します。

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唐突な町の境目

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秀吉は町を通りで区切らず、通りを挟んだ両側が同じ町(両側町)になるように町割りをしたのです。

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両側町:通りを挟んだ両側を単位とする町組。

お向かいが同じ町内で、安心して商売に取りくめる町づくりを目指した?

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さらに町の境に下水道を通しました(太閤下水)。

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太閤下水は今も生きています。

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 しかし、謎なのは曲がった下水道があること。
なぜ曲がっているのか?

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この謎を解くために一行はとある丁字路にやってきました。

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この高低差は、この場所がかつて谷だった証。

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古地図を見ると、谷の傾斜を利用して下水道を通していたことが分かります。
下水道が曲がっていたのは、谷底の川の流れをそのまま利用していたから。

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谷だけでなく、台地の傾斜を利用して町の中に太閤下水を張り巡らせていたのです。

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一行はさらに谷頭(こくとう:谷の最上流部)を目指します。

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谷頭のあたりの住民に話を聞いてみる。

昔はこのあたりに金魚の池があったそうです(湧き水?)。
昔からいる人は亡くなったか、バブルの時にどこかに行ってしまったw

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タモリ「町の中に川の水源があるのが一番面白い」
タモリさん、大満足でした。

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時代が進むと、上町台地の西側の湿地帯を埋め立て、船場という新たな城下町を作りました。
豊臣政権は総合建設のデベロッパーでもあったのです。

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豊臣政権下の船場には様々な店が軒を並べていました。

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船場の町割りも台地の上と同様、東西にまっすぐ引かれています。

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しかし、途中から道が斜めになっている場所があります。
なぜなのでしょう?

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実はかつて西横堀という堀が南北方向にあり、その堀を境に町割りが変わっています。

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さらに東西方向にも江戸堀という別の堀が掘られていました。

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江戸時代の絵図を見ると、西横堀の西側に堀がいくつもあったことが分かります。
でも、なぜが堀が斜めになっているのか?

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西横堀の東側は豊臣政権主導の開発。
西側(上図黄色の部分)は江戸時代の大阪の町人によって開発された。

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 この曲がった道はかつての堀の痕跡

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近所の人に話を聞いてみます。

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やはりかつてここには橋と堀がありました。

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町人たちが作ったたくさんの堀によって船が町中まで入れるようになりました。
日本各地の特産品が大阪に集まり、大阪は物流の拠点となったのです。

タモリさん一行は町人たちが作った町の北側、中之島にやってきました。

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ここには江戸時代広島藩の蔵屋敷(倉庫兼邸宅)がありました。

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中之島周辺には広島藩だけでなく、全国130余りの藩の蔵屋敷がありました。
まさに大阪は天下の台所だったのです。

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まとめ。
織田信長が目をつけたところから始まり、豊臣秀吉が城を築き、商売の町を計画的に開発。
昔の武将は優れたデベロッパーでもあった。
豊臣政権の開発は国家的プロジェクト、町人はこちょこちょこちょこちょと作っていく。
確かに大阪は日本一の商都だった。

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関東ではあまり見ないきざみうどん。

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おまけ。
谷頭の民家ではお惣菜を売っていた。

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冷えたボス1本70円w

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恥ずかしがるおばあちゃんw

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次回(11月12日)は真田丸スペシャル。

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