山梨県・忍野村からスタート。

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 天気が良ければ、バックに富士山が見えていたはず。

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背後の池は、富士山の伏流水。
タモリさんは忍野八海と言っていますが…。

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今回のテーマは「富士山最大の玄関はどうできた?」。

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案内人は、ふじさんミュージアム学芸員の篠原武さん。
これまで富士山に30回以上登ったことがあるそうです。

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富士登山者の6割は山梨側から登っている。
なぜなら、山梨側の「吉田ルート」は山小屋がたくさんあって初心者でも安心して登れるから。
 
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江戸時代も山梨から富士山に登る人が多かった。

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富士講:富士山への信仰登山のために組織された集団

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江戸八百八町に八百八講と言われるほど、江戸時代に富士講が大ブームになりました。 

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忍野八海と冨士講は大きな関係があるが、後ろの池は忍野八海ではない。
昭和になって新たに整備されたもの。

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本物の忍野八海の一つ”湧池”にやってきました。
ところで、なぜ忍野八海は世界遺産になったのか?

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忍野八海は富士講の人々が禊(身を清める)をした池だった。
富士信仰の資産の一つとして世界遺産に登録されました。
忍野八海:江戸時代に富士講の人々が禊をした8つの池。

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八つの池(出口池、御釜池、底抜池、銚子池、湧池、濁池、鏡池、菖蒲池)は江戸時代に選ばれました。
忍野八海は富士講の人々を呼び込む町おこしとなりました。

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「吉田ルート」の入り口の町、 富士吉田市の吉田町。

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富士山最大の玄関口は、北口本宮富士浅間神社が起点。

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タモリさん一行が向かったのは、忍野八海の西にある富士吉田市。

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富士山に登る人が最も多い吉田ルートの起点の町。

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富士山”一の鳥居”。

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天気が良ければ、後ろに富士山が見えます。

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江戸時代の絵図で見る鳥居の位置と浅間神社。

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 吉田(上吉田村)はただの宿場町ではなく御師も住んでいた。

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伊勢神宮にも御師(おんし)がいました。

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富士山では御師(おし)と呼びます。
旅のコンシェルジュであり、神事を司る神職。 

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今でも富士講を迎えている現役の恩師がいる!

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町に入る直前で富士山がちらりと見えました。

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ここが御師の家。

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石灯籠が御師の家の目印。

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門から玄関までのアプローチが長い。

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年間8000人の登山客を受け入れるため、御師の家は通りの奥に広い敷地を設けていました。

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富士登山33回記念の石碑がたくさんある。
33は日本人には大事な節目の数。

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御師団で一ボケw

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 現役感のある御師の家発見。

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45回、55回の富士山登頂記念の石碑があります。

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現役の18代目御師、上文司厚さんと奥様の智子さん。

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掲げている幕は東京の麻布の講社(富士講)が奉納したもの。

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上文司さんは浅間神社の宮司。
上吉田の御師は富士山の神をまつる北口本宮富士浅間神社の宮司を務めています。

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上文司家は江戸時代1000講を迎えた上吉田最大規模の御師。
現在も3つの富士講との交流が続いています。

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庭には富士講の人たちが身を清めるための滝があります。

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富士山最大の玄関口はどうできた?②に続く