ブラタモリ2回目の軽井沢。
前回のテーマは軽井沢の町づくり(8月29日放送 軽井沢はなぜ日本一の避暑地になったのか?)でしたが、今回のテーマは「人はどう峠を越えてきたか?」。

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標高が1000メール近い軽井沢。
今は新幹線で東京から1時間ほどで来られる軽井沢ですが、昔は大変な道のりだったに違いありません。

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中山道69次 江戸・日本橋~京都・三条大橋 533.9㎞

 一行はまず中山道の三大難所の一つ碓氷峠に赴きます。
峠は上州(群馬県)と信州(長野県)の境界になっています。

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峠の頂点は県境からちょっと離れた場所。
ここで水を流して分水嶺を確認。

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ここを境にして、群馬県側に降った雨は太平洋へ、長野県側に降った雨は日本海に流れてゆきます。

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峠の山道で「旧中山道」の標識を見て、有名な女子アナ伝説を思い出す桑子アナw

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関東平野の横川から碓氷峠まで標高差が800mありますが、軽井沢は高原なので碓氷峠との標高差は200m。
こういう峠は片峠と呼ばれるそうです。

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横川(群馬県)から碓氷峠に向かう峠道は意外になだらか。
これは溶岩が流れたなだらかな尾根を選んで中山道を整備したからだそうです。

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江戸時代の碓氷峠越えのために人工的に整備された集落、坂本宿。
そういえば、町割りが細長いのは軽井沢宿も同じでした。
ここも税金対策でしょうか?

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次に、タモリさん一行は明治時代に造られた鉄道の橋を見学。
碓氷第3橋梁(通称:めがね橋)。
明治25年(1892年)に峠を越える鉄道とともに完成しました。
現在は遊歩道になっているそうです。

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富国強兵をめざす明治政府にとって東京と日本海側を結ぶ鉄道は急務。
横川駅~軽井沢駅間(標高差約600m)に26のトンネルと18の橋を造り、1年9か月で鉄道を開通させました。

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明治23年(1890)「碓氷峠ヲ開鑿シ横川軽井沢両駅鉄道連絡ノ件」

しかし、鉄道にはもう一つ大きな問題がありました。
それは、碓氷峠の急勾配66.7パーミル(1㎞水平移動したとき、66.7mの高低差がある勾配)。
今のJR でもこれ以上急な勾配はありません。
 
碓氷峠の鉄道の歴史を知るため、タモリさんたちは碓氷峠鉄道文化むら(横川)に移動しました。

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これが明治時代の碓氷峠越えの秘密兵器”アプト式”。
2~3枚の歯車のレール(ラックレール)と車体の歯車をかみ合わせて急こう配を登ります。

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アプト式機関車を出すために展示してあった”あさま”を動かします。

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 アプト式電気機関車ED42登場。

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車体の歯車。
これがラックレールと噛み合って急こう配を登ります(横川~軽井沢間48分)。

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しかし、時代の流れとともにスピードが出ないアプト式に限界が訪れます。
そこで新たに登場したのが、EF63形電気機関車。
碓氷峠専用に作られたパワフルな電気機関車です。

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平成9年(1997)の廃線まで、横川~軽井沢間を17分で登りました。
 
ここではEF63形の運転体験ができるそうです。
*通常1日の事前講習が必要。

出発準備OK!

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タモリ「楽しいけど、緊張する…」

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800mの機関士体験を終えて大満足のタモリさん。

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タモリ「軽井沢まで行きたかったなあ…」

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ほんとうに楽しそうなタモリさんでした。

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