今回のブラタモリは西鉄薬院駅前からスタート。
タモリさんは子供の頃この界隈に住んでいたことがあるそうです。

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その当時はまだ高架はなく、私鉄と市内電車(路面電車)が直交していたそうです。

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交差地点を電車が通過するときの音が、タモリさんには深く印象に残っているようです。
この場所が、タモリさんが鉄道ファンになった原点。

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ここで、今日のお題。
”福岡発展のカギは鉄道にあり!?”

1889年(明治22年)当時、九州の都市別人口では、福岡市は鹿児島市(57822人)、長崎市(54502人)に次ぐ第3位(50847人)。
現在福岡市は150万超の人口を抱える九州最大の都市です。
この発展の秘密を鉄道を手掛かりに探っていきます。

一行は薬院駅から隣の駅の西鉄福岡(天神)駅に移動します。
40年ぶりに西鉄に乗るタモリさんはノリノリで指さし確認w

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タモリさん一行がやってきたのは天神地区。
大型商業施設やオフィスビルが集積する九州最大規模の繁華街です。

昭和45年当時の天神地区。
市内電車が走っています。

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天神が発展したのは市内電車が交差して、交通のハブになったからだそうです。

江戸時代は商人の町博多と武士の町である天神は分離した存在でしたが、明治43年、電力王と呼ばれた松永安左エ門が中心となり商人の町と武士の町を繋ぐ路面電車を開業します。

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さらに翌年、博多一の商人、渡邉與八郎が天神で交差する形でもう一つの路線を作りました。

二つの路面電車が交差することになった天神は、交通の要衝となり、 発展してゆきます。

福岡市の路面電車は昭和54年にすべて廃線になりましたが、西鉄バスが用意したブラタモリ号でその痕跡が残る場所を見に行きます。

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ブラタモリ in 福岡   天神⇒鉄路の痕跡

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歩道で待ち受けていたカメラマンがとらえた貴重な2ショット。

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天神から東に3キロ、馬出(まいだし)地区でバスを降ります。
昔の路面電車専用軌道に電停(路面電車の停留所)が残っていました。
今はそのままバス停として使っているそうです。

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勝ち運の神様がいることで有名な筥崎宮(はこざきぐう)の前にも路面電車が走っていました。

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右側の白い鉄塔は、路面電車のレールでした。

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大正13年、福岡の発展を加速させる新たな鉄道が誕生します。
天神を起点にして、のちに大牟田まで繋がる大牟田線です。
(現在は天神大牟田線として1日約25万人が利用しています)

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これによって天神にはデパートなどができはじめ、昭和15年には福岡市の人口は30万6763人にまで増加します。

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大牟田線の旧車両313形(昭和27年製)。
昭和50年まで旧車両が走っていたそうです。

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この車両は間もなく解体されますが、運転席も案内してもらいました。

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運転席を後ろから覗いていた昔を懐かしむタモリさん。

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コンプレッサーの音のモノマネは鉄道ファンの定番(?)。

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タモリさんが大牟田線を利用していた昭和30年代、大牟田線は年間乗客数8000万人、路面電車は1億人を突破していました。

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ここで、ブラタモリふるさとコレクションのコーナー。

今回は西鉄バスの1960年ごろのプロモーション・ビデオ。
バスでの修学旅行をPRしています。

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モデルとなった中学校はタモリさんの母校(高宮中学)。

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タモリさんが知っているかもしれないきれいなバスガイドさん。

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バスガイドさんがあまりにきれいだったので、タモリさんはサインをもらったそうです。

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JR博多駅前。

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昭和39年(1964)ごろの博多駅。
当時周辺は田畑でした。

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昭和50年(1975)ごろの博多駅周辺。
11年で大変貌を遂げました。

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この大変貌のきっかけとなったのが、新幹線の開通です。
昭和50年(1975)に山陽新幹線が博多まで延伸。
博多ー東京間を6時間56分で結び、福岡は九州の玄関口となりました。

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新幹線を陰で支える場所に向かいます。
その場所に行くには新幹線を使いますが、なんと片道300円!

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列車名がない列車番号だけの新幹線に乗ります。
九州新幹線から分岐した博多南駅行き。
乗車時間はわずか9分。

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新幹線の車両の車庫がある場所の周辺が住宅街になり、住民の要望によって博多南駅ー博多駅という特別区間ができたのだそうです。
今では1日約14000人の乗車客が利用しているそうです。

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40年前、車両基地がある那珂川町はのどかな田園地帯でしたが、平成2年(1990)に博多南駅が開業してからは世帯数が2倍近くに増加したそうです。
 
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博多南駅に降りて、地元住民とお話。
お母さん、やたらに感激してました。

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博多南駅は、巨大な車両基地の一角にあります。

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博多総合車両所はJR西日本最大の車両基地。
新幹線の”総合病院”として安全運行を支えています。

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桑子「こう見るといろんな顔がありますね」

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ご機嫌の笑顔で車両基地を歩くタモリさん。

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500系新幹線に案内されました。
営業運転時速300キロを達成した車両です。

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他の新幹線に比べて、運転席上部が狭い。 
戦闘機のコックピットのようです。

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500系こそ新幹線の高速化の歴史そのもの、だそうです。 
500系は博多―東京間を4時間49分で結びます。

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最後に、新幹線の歴史を語るうえで欠かせない車両、0系を訪れます。
オジサン世代の新幹線といえば、このイメージ。
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運転席は500系とはまるで違います。

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開業当初、最高速度は210キロ。

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タモリさんが芸能界入りを決意した昭和50年、この新幹線に乗って上京したそうです。

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新幹線開通から4年後の昭和54年、福岡市は北九州市を抜いて名実ともに九州最大の都市になりました。

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