今回のしくじり先生は紀里谷和明さん。

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私はぜんぜんこの人のことを知りませんでした。
宇多田ヒカルの元ダンナ、ということで一般にはよく知られているようですが、本業は…

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映画監督なのだそうです。

この人が何をしくじったのかというと、(宇多田ヒカルとの離婚ではなく)日本映画界をバカにして日本映画界から嫌われてしまったことだそうです。

どんなことを言ったのかというと、

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まあ言いたい放題ですね。
でもあながち間違ったことを言っているとは思えませんし、素人がこれくらいの事を居酒屋の片隅でほざくのは普通の事です。
でも、この人はこれから映画監督として初の作品を撮ろうというタイミングでこういった発言をマスメディアにしたようです。
完全にケンカを売りにいっているし、自分でハードルを上げにいっています。 
しくじり先生の匂いがプンプンしてきましたw

こうして、紀里谷先生は映画「Casshern」の撮影に入ります。
これは1970年代のアニメを実写化したものだそうです。

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もちろん、日本映画界にケンカを売っている先生は日本映画界のしきたりを無視し、製作スタッフの多くはPV・ファッション業界の人間、助監督は映画業界の人間を使ったのですが、「ぜんぜん使えない」ので次々にクビにして結局7人チェンジしたそうです。
 
こうしてできた映画「Casshern」は、製作費6億円で、15億の興行収入をあげました。
が、興行的には成功しましたが、世間の評価は厳しいモノでした 。

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 ここから今回の生徒役として出演し、この映画を「映画としては2時間もたない」と批評した映画評論家の有村昆氏と紀里谷先生のバトルが始まります。

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有村さんはいつものように物腰柔らかに 映画の批評をしていましたが(内容は酷評でした)、この時の紀里谷先生の目はとても怖かった…。
テレビでほんとうにマジで怒っている人の目を初めて見ましたw
 
興行的には成功しているはずの映画なのに、業界ではコケた映画として扱われ、紀里谷先生はほんとうに悔しい思いをしたそうです。

そんな問題作 「Casshern」ですが、捨てる神あれば拾う神あり、なんと「Casshern」を見たハリウッドの映画関係者から3本の映画制作のオファーがあったそうです。

喜んでハリウッドと監督契約を結んだ紀里谷先生ですが、好事魔多し、あの2008年のリーマンショックによって映画の話がすべて吹っ飛んでしまったのだそうです。

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仕方なく日本に帰国した紀里谷先生は、それでも2作目の作品「GOEMON」を撮りました。
 
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この映画は監督自身が明智光秀役で出演したそうなのですが、これも批判の対象になったそうです。

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「GOEMON」を見た有村昆先生の論評は前作に比べると好意的でしたが、「良くなっていた」という発言が紀里谷先生の逆鱗に触れてしまいましたw

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紀里谷 「”良くなってた”って、誰の目線だ!?って感じしません?」
 
確かに上からの目線ですね。
スポーツ界は実績のある経験者が評論をするのが普通ですが、映画業界は自分で映画を作ったことがない人が評論家になっています(故水野晴郎さんは自分でも映画監督をやりましたが…)。
たとえ正しいことを言われても、やったこともない人間にエラそうにああだこうだ言われるのはそりゃ腹が立つとは思います。
ただ、二人のやりとりを聞いていて、紀里谷先生も頑な過ぎる感じはしました。 
 
どうして、紀里谷先生は嫌われるようなことを言うようになったのか。
これを理解するには、紀里谷先生のキャリアについて触れなければなりません。
 
紀里谷先生は15歳で単身アメリカにわたり、アートハイスクール、美術大学でデザイン・音楽・写真などハイレベルなアートを学び、放浪時代を経て26歳ごろから写真の仕事を始め、PV制作も手掛けるようになります。

多感な15歳から20代半ばまでを海外で過ごしていますから、世界観や価値観も普通の日本人とは異なるのはごく自然なことだと思います。
自己主張や自信の強さはアメリカでは生きてゆくための必須条件ですが、日本では嫌われる原因になりがちです。
紀里谷先生が日本で疎まれてしまうパターンは、帰国子女のそれととてもよく似ているような気がします。

しかも紀里谷先生は、帰国して日本で写真の仕事をするとたちまち業界のトップクラスになってしまいました。

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スタジオでちょっと写真を撮ると 数百万円もらえる世界だったそうです。
こうして紀里谷先生は調子に乗ったチャラい生活にどっぷり浸かります。
遊びまくり、港区に居を構え、オーダーメイドのスーツを作るためロンドンをファーストクラスで日帰りしていたそうです。

そんなチャラチャラした生活を送っていた紀里谷先生でしたが、結婚を機に変わったそうです。
守るべき人ができたので、遊ぶこともなくなり、創作活動にエネルギーを注ぐようになり、新たな挑戦を決意することになりました。

こうして新たな挑戦ー映画制作ーに臨み、紀里谷先生は勢い余って冒頭にのべたような痛烈な日本映画界批判をしてしまった、ということのようです。

しかしながら、自分で映画を撮って、自分の作品も批評にさらされるようになり、一つの作品を作りあげることの難しさを痛感するようになったそうです。

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周囲に敬意を払うことを学んだ紀里谷先生でしたが、映画評論家への恨みはまだ消えていないようですw
 
いばらの道を歩んできた紀里谷先生ですが、昨年ついに念願のハリウッド映画”Last Knights"を完成させたそうです。

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紀里谷先生はこの映画の制作にはとても苦労し、途中で映画監督をやめようかとすら思ったそうです。 
そんなある日、出演していたアメリカの名優モーガン・フリーマンに紀里谷先生は質問しました。 
紀里谷「良い映画監督になるには、どうしたらいいですか」
すると、彼はたった一言だけ答えたそうです。

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きっとフリーマン氏は紀里谷監督と一緒に仕事をしていて、「他人の言葉には意地でも従いたくない」という紀里谷先生の意固地な性格を見抜いたのでしょうねw

モーガン・フリーマン氏の助言を生かして、紀里谷先生が名監督になることを期待しています。