バブル(1986~1991)がはじけるまでは、若者は冬になるとスキーに行っていたものでした。
冬になると、さあスキーに行こう、という空気になっていたのです。
 
私も社会人になると同僚に新宿や神田のスキー用品店に連れて行かれて板から靴からウエアまで一式買わされました。
それから毎年のようにスキーに行っていたような気がします。
越後湯沢にも一度行っています。

スキーはいろいろな意味で大変なスポーツです。
まず、車のタイヤを雪仕様にして、屋根にキャリアを付けてスキー板を載せます。 
何しろスキーブームですから高速道路は渋滞しています。
やっと高速を降りても、雪道でどこかの車がスタックしていてまた渋滞です。
そうやって苦労してスキー場にたどり着き、ガンダムみたいなスキーウェアに身を固めてリフト乗り場で1~2時間待って、ゲレンデを滑り降りるのはほんの一瞬。
「自分はいったいここで何をしているのだろう…」
リフトの順待ちの間、そう自問自答した時、私はスキーから卒業しました。 

しかし、その後もバブルがはじけるまでは原田知世が「私をスキーに連れてって」と言い、ユーミンやZOOがゲレンデで舞い踊り、スキー場を盛り上げていました。
スキー場に行くことは、若者のマスト(と思わされていたの)でした。 
クリスマスイヴに苗場プリンスや赤坂プリンスの予約を取ることは、当時の恋人たちの究極のステータスになっていました。
今思えば、おバカな時代です。
あの頃のスキーブームは、バブルを背景に西武とJRと大手広告代理店とホイチョイ・プロが創り出したものかもしれません。 

そして、バブル消滅以降、何かとお金のかかるスキーが急速に下火になったのは当然のことでしょう。

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 「国破れて 山河あり」、「バブル弾けて リゾートマンションあり」。
こうして湯沢町にはバブル期に建てられた大量のリゾートマンションだけが残されることになりました。

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湯沢のリゾートマンションが激安になっていることは、私も知っていました。
バブル当時の価格に比べるとあまりに安いので、これを知った誰しもが一瞬手を出そうかと考えたのではないでしょうか。

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実際湯沢町のマンションを購入している人も少なくないようです。
割高な管理費や固定資産税、過疎化など、問題もないわけではないようですが、スキーが趣味で週末に別荘として利用している、そういう方は購入後も比較的顧客満足度が高いようです。

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そう言えば、「私をスキーに連れてって」を監督した馬場康夫氏は前述したホイチョイプロの代表であり、成蹊大学時代は、安倍総理の同級生で親友なのだそうです。
アベノミクスであのバブル日本が再来するのでしょうか。
弾けてもいいから、一度「私をバブルに連れてって」ほしいものです。

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 人生ジェットコースター理論は実感してます
 
私をスキーに連れてって [DVD]
原田知世
ポニーキャニオン
2003-11-19





別荘を買って気づいた大切なこと
有栖川 豪
General Intelligence
2014-07-11