前回に続き、今回もアメリカ文学の大御所です。
アーネスト・ヘミングウェイは日本でも最も有名なアメリカ人小説家ではないでしょうか。
考えてみるとアメリカは開拓精神の国、西部劇でもカウボーイやならず者がよく野宿してますもんね。
アウトドア系文学が強いのも当然か?

「大きな二つの心臓の川」はヘミングウェイの短篇集に収められている作品で、2部構成になっています。
今回ご紹介する1部は主人公が川のほとりでキャンプをするお話です。

主人公ニックは一面焼け野原の土地に降り立ちます(なぜ焼けたのかはここでは説明されていません)。
小さな町さえも跡形もなく焼け落ちており、ニックを乗せていた汽車は丘の向こうに消えてゆきます。
土地を流れる川だけは昔のままです。
テント、毛布、釣り道具などを背負い、ニックは川の上流を目指して歩き出します。
松の森とやまももの群生地を抜けて、日が沈む頃に川のほとりの小高い丘にたどり着きます。
ニックは平らな地面にテントを張り、夕食の支度をはじめました。

腹が空いていた。これまでで最高の空腹だ、とニックは思った。彼は背嚢から豚肉入りの豆の缶詰とスパゲッティの缶詰を出して、缶を切り、中身をフライパに空けた。
<中略>
ニックは、松の切り株から斧で薪を何本か切り出してきて、それで火を焚いた。火の上に鉄架を据え、長靴で踏み、四本の足を地中にめり込ませ、炎の立つ鉄架の上にフライパンを載せた。
空腹がひどくなってきた。豆とスパゲッティが暖まってきた。ニックは豆とスパゲッティをスプーンで掻き混ぜた。
プツプツと気泡の弾ける音が立ちはじめた。小さな気泡がじわじわと、底の方から表面に立ち昇ってきていた。いい匂いが立ち籠めた。ニックは背嚢からトマト・ケチャップの壜とパンを取り出し、パンを四切れ切り取った。
小さな気泡が勢いよく昇ってくるようになると、ニックは火のそばに座り、フライパンを火からおろして、中身の半分を錫びきの皿に注ぐように移した。それはゆっくり、皿の上を広がっていった。まだ熱すぎる。ニックにはわかっていた。少しケチャップをかけた。豆もスパゲッティもまだ熱すぎる。ニックは火を見、次にテントを眺めた。舌を火傷してすべてをふいにしてしまうわけにはいかない。
<中略>
ニックは再びテントの方に目を遣った。もう大丈夫。ニックは錫の皿からスプーンで山盛りすくって口に入れた。
「凄い!」ニックはいった。「こいつは凄い!」ニックは息を弾ませ幸福そうにいった。
ニックは一皿すっかり平らげてしまってから、やっとパンがあったのを思い出した。彼は残り一皿をパンといっしょに、最後はパンできれいに拭き取って、皿の底が光るまで、食べた。

ーアーネスト・ヘミングウェイ作 谷阿休訳 大きな二つの心臓の川ー

この後、ニックはデザートとして杏のシロップ漬けとコーヒーを頂いています。
つまりこの夜のメニューは、豆とポークのスパゲッティ二皿・パン四切れ・杏のシロップ漬け・砂糖入りコーヒーですから、かなりガッツリ食べてますね。

ニックと一緒に汽車から焼け野原に降り立った読者も、(追体験として)半日歩き通して、テントを設営していますから、もうお腹がペコペコなのです。
だからこそ、缶詰のスパゲッティがこの上ないご馳走に思えてくるのです。
文豪の筆力、さすがでございます。

pasta beans
某ブロガーさんがこのスパゲッティを再現しました。 缶詰のスパゲッティは入手困難の模様。


apricot
杏の缶詰 これは日本でも買えるようです